奥丹波新酒の会にて温まるコラム

11月27日、

料亭「大和」にて奥丹波の新酒を飲む会が開催される。(写真は青木杜氏と)

そこで配布された「酒蔵便り」に粋な後書きが掲載されていたので、

少し長文だが披露させていただく。

酒肴のはなし

40年前のこと。小学校卒業と同時に故郷丹波を飛び出し、

まちに住む母方の祖母を頼り、二人で暮らした。

若い頃、聖路加病院の外人院長の秘書をしていた祖母は、

老境に至って日中何杯もコーヒーを飲み、タバコをくゆらせ、

一人遊びのトランプと読書に日がな一日を費やしていた。

昔は目深に帽子を被り、授業参観に訪れると母の同級生たちが

感嘆の声を上げるモガ(modern girl)だったらしい。

敗戦後一家で住んでいた三軒茶屋の長屋に進駐軍が土足で踏み込もうと

した際、「GET  OUT]と毅然と対応し、ご近所さんから

「やっぱりお華さんじゃなきゃ」と頼られたという女傑でもあった。

その元モガのお華さんと僕が暮らす家に、訳あって週に2・3日にしか

戻らない祖父がいた。

その訳は実に手前勝手なことだったけど、

それでも家長主義が当たり前の明治の生まれ、

ふらり帰宅すると、お華さんは甲斐甲斐しくもいそいそと酒肴を用意して、

お銚子を燗に浸けて晩酌の用意をした。

よこわの刺身・おでん・鰹のなまり節鯛の子の煮付け・・・、

僕が酒の肴の旨さを覚えたのはあの頃。

日本酒一滴に含まれる香りと味の成分は700種。ウイスキーや

ブランデーで400種、同じ醸造酒のワインでさえ600種程度というから、

日本酒の奥行の深さと豊かさはダントツらしい。

世界中の食材と合わせても、その味わいを受け止めて

オールマイティに相性の良さを発揮する所以がここにある。

とりわけ爽酒と呼ばれる「搾りたて」の生酒や、

燗につけても旨い醇酒の「純米酒」などの守備範囲は広く、

和洋中を問わずに意外なほど様々な料理と

素敵なハーモニーを奏でる。

今は亡き祖父母が生きた時代、古い小津安二郎の映画の中、

小料理屋のカウンターで、笠智衆が小鳥がついばむように

銚子からお猪口に酒を注いで呑んでいる、

あの時代は遠くなってしまったが、

僕の心の中で色褪せてはいない。

やかんの湯気で曇ったガラス越し、

そこには小さな幸せが確かにあった。

失ったからこそ蘇ることもある。

今宵、手作りの料理を囲んで、

身近な人と幸せになるための杯に

当蔵の酒が注がれるなら、

こんな嬉しいことはない。    

             奥丹波蔵元 山名

読んだだけで、内臓がほわーっと

温かくなった。(山名純吾社長と)